先日「『愛はお金で買えない』ということが絶対の真理であるとは立証出来ない」、て話を書いたところ、結構な反響がありました。
「『お金』が0から無限大までの幅(場合によってはマイナス方向へも)を持つ以上、その全ての場合に対して『愛が買えない』ことを確かめることはできない。故に、『愛はお金で買えない』ということが絶対の真理であるとは立証出来ない。」
という前回の論証自体に穴は無いつもりです。
この論証が間違っているというならば、この論証の裏、つまり「無限の幅を持つ金額に対して、どこをとっても『愛が買える場合は無い』事を検証しなければならない」のです。
言葉遊び的な言い換えとか、他の概念の導入では、論証自体を否定することには繋がらないわけです。
ちなみに『愛』と『お金』の双方に幅があり、関係が明確なものでも固定的なものでもありませんから、数学的な手法でこれを実証することは出来ないはずです。
ただ、「愛とは何か?」という問題については、考慮外ですので、実際に「愛が買えるかどうか」は全くわかりません。
でもまあ、「買えないこともないんじゃぁないかな」とは思っております。
例えば、『お金が無くて結婚できず、別れた二人』とかいうケースを想定すると、お金があれば世間一般で言う『愛』を手に入れられた可能性が高い訳で、これなんかは「愛をお金で買う」ことになるんじゃないかと。
とかなんとか言うと、「そんなお金で左右されるようなものは愛ではない。真の愛とは何事にも揺らがぬものなのだ。」なんて事を言われそうですけれどね。
個人的には、「そーいうものがこの世のどこかに有って欲しい」とは思っております。
寡聞にしてその実在を確認したことはありませんが。
とゆーか、「真の愛」なんて大それたものでなくていいです。「ぱっと見は愛に見えるもの」とか「不確定名:愛のようなもの」くらいでいいので、どなたか売ってくださるなり、プレゼントしてくださいませんかのう……。
余談1:ちなみに某氏のレスにある、「『信仰』をお金で買った/売った」例を知っております。耶蘇教の開祖とその使徒にまつわる物語で、有名なのがございますね。これが真に「信仰を売った」例なのか、「信仰に従った」例なのかは議論の余地があるようですが。
余談2:今月の『私の履歴書』(日本経済新聞連載)は宮澤喜一元首相なのですが、今朝の分にこんな主旨の事を書かれておりました。
「田中角栄元首相が『金でうごかないものはない』と言っていた」と。
なお、単にタイミングが良かったので書いてみただけで、田中角栄元首相を貶める意図はございません(田中真紀子元外相でしたらば、十分に嫌いですけれど)。